メロウの日記

音楽家の端くれです

リーダー

どうも。

企業で言えば係長的なポジションのメロウです。

二十代の半分くらいはベンチャーの社長ごっこみたいな状態でした。

起業ブームが叫ばれる昨今ですが、メロウもあの頃は起業みたいな事をしていたので、楽しさも厳しさも情けなさもやり甲斐も全部この手に引き受け、それはそれは濃密すぎる日々だった事を今でもよく思い出します。

現在はブラック企業に買収されているような状態なので、いつかまた独立してあの頃のように楽しくやりたいなぁ。

という訳で今日はリーダーについて。

リーダーのやるべき事って凄くシンプルだと思います。

「頑張ればいい事あるよ」

「頑張らないとマズイよ」

この二つを肌感覚で理解してもらう事。

その為の努力を惜しまない事、それに尽きると思うのです。

何かを指示しただけで理解してもらえれば、ちゃんと働いてもらえれば、こんなに簡単な事はありません。

しかし人は口先の言葉では表面的にしか動きません。

何故なら部下というものは、如何に少ないエネルギーで仕事を乗り切るかばかり考えるからです。

だからリーダーたる者、例え見返りがゼロでも率先して行動し、報酬と恐怖をしっかりと分かち合い、いつも率直な気持ちを伝え続けなくてはいけません。

それは愛が無いと出来ない事です。

仕事のノウハウや段取りは時間をかければ誰でも身に付けられる。

でも生きた言葉を部下に伝え続けるには、いつも自分が先頭を走っていないと説得力がありません。

誰よりもストイックでなくてはいけないのです。

愛情とストイックさを同時に併せ持つ事がリーダーの条件。

これは本当に大変な事ですよ。

椅子にふんぞり返ってる暇なんて無いですよリーダーの皆さん。

そしてこれだけ頑張っても部下から陰口叩かれるんだもの、やれやれですよね。

心技体

心技体って素晴らしい言葉だと思います。

どんな分野であれ、生きる為に技術を磨き続けるのは死ぬまでのテーマです。

そして、その技術が人間によるものである限り、精神的、肉体的に様々な制約を受ける。

つまり技を磨くとは即ち心も体も同時に磨く事であり、だから心技体という三位一体は、生きる事の本質を表しています。

技を磨くことに躍起になると、心か身体か、そのいずれかを壊します。

しかし心と身体の保護を優先すると、なかなか突き抜けた技術は身に付きません。

心はいつも身体にイライラします。

無限に広がる理想を阻むのはいつも己の肉体だからです。

身体はいつも心にイライラします。

どんなに行動力があろうと難しい技を習得しようと、溢れ出す気持ちだけは制御できないからです。

あらゆる手段を使って心と身体のバランスを保ちながら、日々技を磨き続ける。

だからその技には価値があるのです。

心技体、スポーツの世界でよく使われるワードですが、安定を望めないこれからの時代、もはや我々全員が意識すべき言葉ではないでしょうか。

ランニング

ランニング、いいですよ。

メロウは学生時代、髪型が崩れるという理由から汗をかくのが大嫌いでした。

元々は筋金入りのスポーツ嫌い。今でも得意ではありません。

マラソン大会は毎年サボってたし、体育の授業はいつも赤点ギリギリでした。

だからランニングなんて、自分には永久に無縁だと思っていました。

しかし転機が訪れた二十代の終盤。

メロウは椎間板ヘルニアで倒れ、まともに歩けなくなりました。

これで人生の第一章が終了だと覚悟しました。

メロウの仕事は、まず五体満足以上である事が必要不可欠だからです。

自分の情けなさに打ちひしがれたメロウですが、腰への負担を減らす為のダイエットを決意しました。

まずは水泳を始めて体重を10キロ落とし、それでもまだ五体満足以上までは鍛えられなかったので、更に足腰への負荷の大きいランニングを始めました。

最初は恐る恐るでしたが、人間ってなかなか凄い。

数ヶ月経つと、それまでとは重力の感じ方が全く変わっていたのです。

身体が軽い。

いちいち覚悟を決めないと布団から出られなかった頃が嘘みたい。

仕事の為に必要不可欠だったとは言え、メロウのその進歩に一番驚いたのが、遠くから見守り続けてくれた両親でした。

学生時代の自分はいつも体育が赤点ギリギリで、可能な限りスポーツと分類されるものから逃げ続けた少年だったからです。

生きる為に避けて通れない「仕事」というものが、いかに辛く厳しいか、よくわかりますね。

ランニング中はスマホも液晶画面も見ない。

移りゆく季節を眺めながら、イヤホンから流れるグッドミュージュクに耳を傾ける至福の時間。

情報過多の時代だろうがお構いなしに、結局インスピレーションってそんな時に訪れるものです。

タイムイズマネーを地で行って、無理して身体を壊して、空回っていたあの頃の自分を懐かしく思いつつ。

上京

昨夜は友人と高円寺で安酒をあおってまして、ふと上京した理由に話が及びまして。

メロウは「実家住まいの彼女を家から連れ出して結婚する為」と答え、

友人は「長く付き合ったけど関係がこじれた恋人と別れる為」と言いました。

今の時代、上京ってそういうものだよねってお互い笑いながらすごく納得したのです。

二人とも「東京に来ない?」と誘ってくれる仕事仲間がいたから実現した上京ではありますが、それにしても今の時代、仕事の為だけに上京する理由が無いことをつくづく実感しました。

「上京して一旗上げる」とはもはや太古の価値観なのです。

生活コストの高さと人口密度による息苦しさを補って余る程の価値が東京にあるかどうかは本当に人次第。しかし一旗上げようと上京して失敗した人をメロウは何十人と見てきました。

闇雲に東京に行っても何も変わりません。

地元で残念なヤツは東京でも残念なままです。

 

メロウが思う東京住みの利点としては、

・時間の流れが早く、ボーっとしている人が少ない為、尻に火が付きやすい

・いい人と嫌なヤツが極端に分かれるので、付き合う人間を選ぶのが楽

・残念な飲み屋が悪目立ちしているものの、丁寧に探せば素晴らしい飲み屋がとても多い

の三点だと思っています。

 

東京は全てを受け入れ、全てを突き放す街。

今の所なかなか快適です。

現実逃避

現実逃避ほど大切なものは無いとつくづく思います。

多くの大人は多かれ少なかれ何かを諦めているので「現実を見ろ!」と口にします。

しかし諦めず理想を追い続ける人は何も夢ばかり見てる訳じゃない。

現実の自分を直視すればそれが耐えがたいほどに無力な事もまた知っているのです。

(最も、自分に能力があると勘違いした時から転落が始まるのが人間の悲しき性です。)

人間は誰しも自分が可愛い。そんな自分が無能だという現実と正面から向き合い続けるのは辛い。

「愛しかないのに、人生の全てを賭けたのに、何故、自分はこんなに無能なんだろう。」

プロがこの悲しみから逃れられる日はきっと来ないでしょう。

何故ならその悲しみ故に人は謙虚さと向上心を保てるからです。

自己満足で許された頃が懐かしい。

でもあの頃に戻りたいとは思わない。

自由よりも使命感によって人は輝けるのです。

趣味が徐々に仕事に変わり、プレッシャーと比例してメロウは酒が増えました。

しばらくは焼酎ボトルを毎晩のように飲み干していたものです。

現実という名の絶望と向き合うには近所にコンビニさえあればいい。

絶望は決して終わらない。

だからそれに慣れ、笑い飛ばすしかないのです。

所詮は仕事上の絶望なんて、人の生死とか家庭崩壊とかに比べたら屁以下ですよ。

絶望と向き合う為に、現実逃避ほど大切なものはありません。

堂々と胸を張って現実逃避しましょう。

対価

日本人は温厚で繊細で平和主義なのが素晴らしい。

しかし大の大人が既得権益を奪われそうになった時の牙の剥き方に、しばし狂気を覚えます。

大阪都構想を叩き潰すために自民党社民党共産党までが団結しているそうで。

メロウがどこの党を応援するかは置いといて、既得権益を守るためにそこまでなりふり構わずカッコ悪い事が出来てしまう政治家という職業を、もはやまともな若者は誰も目指さないでしょう。積み上げてきたものも、今は価値があるものも、いつかその意味を失う日が来る事を、まともな若者はしっかりと受け入れているからです。

それら封建的システムが壊れて無くなるからこそ新たな発展があります。

より風通しの良い社会になります。

失職は絶望では無くてチャンスです。

日本はまだまだ当たり前のように、その労働の対価としては不釣り合いな高額の報酬を受け取ってる人が多い。適当な指示を出してハンコを押すだけのガチガチの石頭に払う金なんて本当は月12万で十分でしょう。しかし連中が生活を守るのに必死なので、結局そのしわ寄せは全て若者に及ぶ。

国民年金国民健康保険も払えてない若者、メロウの周りにたくさん居ます。

終身雇用、年功序列、厚生年金、つまりは安定、多くの若者はとっくに諦めてます。

中高年の皆様、若者に高級ウイスキーを振舞って先輩風を吹かせる前に、そんな若者の現状を謙虚に受け止めていただければと切に願います。

男と女

男は色んな人とセックスしたい生き物です。

本能レベルで、出来るだけ沢山の遺伝子を遺そうとするからです。

女は品定めする生き物です。

本能レベルで、より優れた遺伝子を遺そうとするからです。

男が「色んな人とセックスしたい」を乗り越えた時、 女が「品定め」を乗り越えた時、 それをきっと愛と呼ぶのだと思います。

男の「色んな人とセックスしたい」を女は全否定し、 女の「品定め」に男はいつも消耗します。

しかしそれは人間の本質だからしょうがない。

まずそれを笑い飛ばす事。

全てはそこから始まるのです。

男は「色んな人とセックスしたい」自分にいつもうんざりしています。

きっと女も「品定め」せざるを得ない自分にいつもうんざりしているでしょう。

男であろうが女であろうが、自分が本質的に持ってしまった異性に対する暴力性を自覚し、申し訳ないという気持だけは持っていたいと思うのです。

思いやりって、きっとそういう事だと思います。

「亭主元気で留守がいい」

これ、ムカツクけど、いい言葉だと思いますよ。